夕雲型

カレンダー3月は夕雲型。



夕雲型は19隻のうち11隻が実装されているんだけど、他の駆逐艦型と違って、同じ人(藤川)が全員のイラストを描いている。私の中で画風のイメージは良くも悪くも「普通」なんだけど、女性なのに画く中破画は結構エロい。


制服を同じにするという縛りの中で描き分けるの大変だろうなあと思うし、正直このカレンダーみたいに画風変えられると長波と藤波とか区別付きにくい。


…あれ?でも浜波ってこの前のイベントでの実装なのに、この時点からいたのか?と探してもいない。でも画かれているのは11人。



なんか遠すぎて扱い悪いなと思っていた一番奥の桜の木の下にいるのは、秋雲さんじゃないですか。



陽炎型のバージョンアップが夕雲型なんだけど、私たちが子供の頃は秋雲は夕雲型の2番艦だったので、「夕雲型は秋雲の方が先に完成したけど、作り始めたのは夕雲の方が先なので、夕雲をネームシップとする。」という覚え方(?)をしていた。


確かに○雲というのは夕雲型のイメージ(陽炎型は○風が多い)なんだけど、最近の研究で秋雲は陽炎型の最終艦という説が有力になっているので、秋雲≠夕雲型とすることが多い。


じゃなんで秋雲って名前にしたのかというと、陽炎型っぽく風を使った「秋風」はまだ峯風型(大正生まれのおばあちゃん)の駆逐艦がその名前で存在していたので、峯風型の中ですでに哨戒艦に改造されて名前が空いていた「島風」が当初予定されていたのね。


ところが島風という名前は、「ぼくのかんがえたさいきょうのくちくかん」の名前として使われることになってしまう。これが2代目の島風で、島風が使われた理由は、峯風型駆逐艦の中で、唯一40ノット越えのスピードを出すことに成功した艦だから。島風型は18隻を作る計画だったけど、戦時中となり水雷戦を行う機会のない中、建造にコストと時間のかかる島風型は、結局島風一隻建造されただけになってしまう。


それで、「次は雲シリーズでいくかぁ…」というパターンの最初が秋雲になってしまったという訳なんだよ。しかもややこしいことに、当初は本当に秋雲から「秋雲型」(つまり夕雲型)として建造しようとしていたんだけど、戦争の足音の中、建造を急ぐことを優先して、陽炎型の設計で建造されたという経緯もある。


その他マル四計画仲間だったり、同型艦が基本の駆逐艦隊を夕雲型と組んでいたり、そもそも書類上は甲型駆逐艦だったりするので、今ひとつはっきりとしないってのが結論。


 


秋雲がスケッチブック持っていたり、「スケブいる?」とか言うのは、秋雲の乗組員(中島斎という人で、単純に絵が上手かっただけでプロでもなんでもない)が、戦場写真の代わりにスケッチを描いて上層部に提出したから。


昭和17年の南太平洋海戦で、沈みかけのホーネットを、巻雲と一緒に「できれば引っ張って持って帰れ!」というめちゃ振りをされて現場に行ったら、ホーネットは大破炎上状態で当然曳航は無理な状態。直前まで重巡ノーザンプトンが引っ張ろうとしてあきらめているわけだし…


で処分砲撃をしたんだが、全く歯が立たない。これもすでに米軍側が魚雷9発と400発の砲弾で処分しようとしていたが沈まなかったのだから当然だ。結局巻雲と一緒に4発の魚雷でやっと沈み始める。


このときに写真を撮ろうとしたんだけど、夜なので写真は無理じゃね?って話になり、スケッチを描いたんだけど、画いてる途中に細部が見えにくいといわれて、秋雲の相馬艦長はサーチライトを点ける。巻雲の藤田艦長は「何やってるんじゃワレ!」とガチ切れ。戦場で(敵艦船は撤退したとはいえ)潜水艦の的になりかねない行為だから当然なんだけど、相馬艦長は無視して、数回の照射を行っている。




そのときのスケッチ


っていうかサーチライト点けたなら写真でもよかったんじゃ…


その他作戦行動中に負傷兵の手術のために停船させたり、相馬艦長は肝の据わった人という評価なんだけど、単に無謀で運がよいだけの艦長という可能性も…。








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