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「A列車で行こう」の由来

デューク・エリントン楽団の代表曲ともいえる「A列車で行こう」



いつ聴いてもかっこいい。最初のピアノの2回繰り返しの最後の2つの音のタイミングを微妙に変えているのがにくいな。


で、この曲私ちょっと勘違いしていたことがある。


A列車(A Train)というのは、ニューヨークの地下鉄の路線名。この路線、実はニューヨークの地下鉄の中で(そしておそらく世界でも)最長の区間を走る路線だったりする。営業キロ数は約52キロだから、名古屋で言うと名古屋駅から内海まで走っているのと一緒。これがバスの乗り換え込みで300円弱で乗れるんだから(しかも24時間運行)すごい。ちなみに名鉄だと1000円かかるw


んでこのA列車、マンハッタンでは急行になるんだけど、主要な駅に停まった後、59丁目から一気に7つ駅を飛ばして125丁目まで停まらない。この125丁目が黒人文化の中心地ハーレムのメインストリートなんだよ。しかも有名なアポロシアターの最寄り駅でもある。(たまに観光客が知らずに乗って、怖いイメージのハーレムに連れて行かれて涙目になってる。)


なので、私はこの曲を「ミッドタウンで仕事が終わった後、Aトレインに乗って、ハーレムに行き、ジャズを楽しもうぜ!」って曲だと思っていたんだよ。実際日本語のWikiにはそう書いてある。



歌詞を見てみると



You must take the "A" train

To go to Sugar Hill way up in Harlem

If you miss the "A" train

You`ll find you missed the quickest way to Harlem

Hurry, get on, now it`s coming

Listen to those rails a-thrumming

All aboard, get on the "A" train

Soon you will be on Sugar Hill in Harlem



かなり意訳すると



ハーレムのシュガーヒルまで行くのならA列車に乗るんだよ

もしA列車に乗らないと、ハーレム行きはちょっと面倒

いそげ、さあ乗って レールをきしませながら列車が来るよ

A列車にご乗車のみなさん まもなくハーレムのシュガーヒルに到着します



確かにそれっぽい歌詞なんだけど、行き先が「シュガーヒル」っていってる。シュガーヒルはハーレムの北側のどちらかというと住宅街で、最寄り駅は155丁目。だからジャズを聴きに行こうぜって場所じゃないんだよね。


で、いろいろ検索しているうち個人の方のブログ にこんなことが書いてあった。



TAKE A-TRAIN と書かれたメモをデュークはビリーに手渡した。A列車とはニューヨークの地下鉄路線のひとつ。ハーレム近郊の高級住宅地シュガーヒルにあるデュークの自宅への道順を記したメモだった。ビリーは当時、ピッツバーグでクラシカル音楽を学び、高校のミュージカル作曲やラジオでの演奏などの音楽活動を始めていた。同市でツアー中だったデュークと出会ったのは1938年12月のこと。ビリーのアレンジを気に入ったデュークは、旅費を渡し、ニューヨークに呼ぶ手筈を整えた。自宅への道順を書いたメモ書きとともに。。。


いつも思うのだけど、ジャズのタイトルってかっこいいね。 ビリーの回想に寄れば、最初このタイトルは" A-TRAIN OVER D-TRAIN " に決まりかけたそうだ。D列車では目的地のシュガーヒルには行かず、ブロンクス止まり。だから間違えないで、A列車に乗ってね、と念押しされた経験から、だという。



なるほど、ジャズを聴きに来いではなくて、デュークの家に行くならA列車に乗れって事なのね。D列車だとダメだぞとも言われたと。


ん??D列車? と鉄分が騒ぐ。


D列車がサービスを開始したのは1940年の年末。つまりビリーを呼び寄せたときにはまだ存在しないはず。仮に存在したとしても、ビリーが到着するのは34丁目のペンシルバニア駅、D列車がA列車と合流するのは59丁目なので、わざわざ途中の駅でD列車に乗り換えるわけがない。C列車と間違えたのか?


んでさらに調べてみると、Stanley Danceという人が書いた「The World of Duke Ellington」って本の中に書いてあった。最初は本を買おうかと思ったんだけど、アマゾンのなか見!検索で全文見られたw


33ページからの内容を意訳すると、



タイトルがA列車で行こうになった理由は、当時6番街の地下鉄が造られて、ハーレム方面へD列車が走ることになったんだけど、145丁目まではA列車と同じようにハーレムに行くのに、D列車はそこから曲がってブロンクスの方に行くのに対して、A列車はそのまままっすぐ200丁目とかその辺まで行くんだよ。


みんなこれに混乱してさ、D列車は145丁目を出ると次が8番街のポログラウンズの近くで、次はもうブロンクスなんだ。なので、私が道案内を入れたんだよ。「シュガーヒルに行くならA列車に乗るんだよ」ってね。


D列車には本当にみんな困っていて、主婦の人たちが「結局ブロンクスまで行っちゃって、折り返して戻ってくるしかなかったわ」って言うのを何度も聞いたよ。



なんだ、「ジャズを聴きに行くならA列車!」とかじゃなくて、「おばちゃん、間違えたらあかんでー!」っていうタイトルだったんだなw


まじめに読む人もいないと思うけど、位置関係がわかりにくいと思うので、地図おいときますね。


まずだいたいの図



青い線がA列車の走っているところ。34丁目が中部や西部からの長距離列車が着くペンシルバニア駅の乗換駅。59丁目がD列車との合流地点。んでこの34~59丁目あたりがミッドタウンと呼ばれるオフィス街。125丁目がハーレムのメインストリート。


ちなみに左の陸地は、アメリカ大陸のニュージャージー州、右下の島が上がクイーンズ区、下の方がブルックリン区だ。


んでハーレムあたりの拡大図



こうやって観るとシュガーヒルと書かれている地域が、ハーレムの中心125丁目からは結構離れているのがわかる。といっても1丁目ごとに1分で歩けるから、それぞれの駅は徒歩10分くらいの距離だけど。


んで青線のA列車とD列車は59丁目駅から145丁目駅まではずっと同じ線路を走ってるんだけど、ここで分岐して細いオレンジの線で表示されている所を走るので、次の駅は同じ155丁目駅なんだけど、歩いて10分弱の場所に着いてしまう。ポログラウンズと言っているのは、この当時ここに野球場があったため。


そしてここを乗り越してしまうと川を渡ってブロンクスの161丁目になってしまう。(ヤンキースタジアムの最寄り駅)さすがにここまで来てしまうと、橋を渡って戻らなくてはいけないので大変。


それにシュガーヒルの住人ということは黒人ではかなりの成功者だったわけだから、ブロンクスに連れて行かれることがすでに屈辱的だったのだと思う。ニューヨーク市5区の中でも、ブロンクスだけ「The」が付いてるのよ。名古屋で言うと、「中区・東区・千種区・名東区・あの天白区」みたいなもんだ。つまり最初は人の住む場所ではない扱いだったんだよ。実際酪農が盛んだったし…。んで人が増えてきてもそんなブロンクスに住むのは最下層の人たちなので、治安も悪く、行くだけでも不快ってことだったんだと思う。


 


さらにどうでもいいこと1


ここまで説明しておいてなんだけど、おそらくビリーが言ってるA列車は、各駅停車の「AA Train」で本来の「A Train」ではないと思う。なぜなら当時急行のA Trainは155丁目には停まらないw 次の次、168丁目でやっと停まるんだけど、その辺はシュガーヒルじゃない。まあAAもA列車には違いないということで、シンプルにしたんだと思う。


でも勘違いしていると思われるのは、



「D列車は145丁目を出ると次が8番街のポログラウンズの近くで、次はもうブロンクスなんだ。」



って部分、D列車は急行なので、この2つの駅には停まらない。おそらくCC列車(1949年まで運行していた各駅停車)と間違えていると思う。D列車は6つ先のトレモント街駅まで停まらない。だからこそ、比較的マシなマンハッタンに近いエリアではなくて、ガチのブロンクスであるトレモント街に連れて行かれた主婦たちが怒っていたんだと思う。


さらにごうでもいいこと2


ポログラウンズのポロは、馬に乗って行う球技のポロのことで、そのプレーヤが着る服が「ポロシャツ」でラルフローレンのマークもポロのプレーヤの画。んでもともとそのポロの競技場(サッカーのように長方形)だったのを無理矢理に野球場に変更したもんだから、両翼が近く、センターが遠いといういびつな形に。レフトポールまでの距離はわずか85m。



日本で最も両翼が狭い横浜スタジアムでも94.2mあるから、10m近くも短いことになる。


んで元々はジャイアンツがここを本拠地にしたんだけど、ヤンキースもあと乗りでここを本拠地にする。そこにいたのがレッドソックスから移籍したてのベーブ・ルース。


実はレフトは85mなんだけど、ライトは79mとさらに6mも短い。ということでもう圧倒的に左打者有利な状況で、当時絶好調の左打ちベーブ・ルースは、1920年に54本のホームランを打つ。もちろん当時の世界記録で、そのホームラン目当てにヤンキースの試合は年間100万人以上の動員があり、ヤンキースはウハウハ状態。


これに切れたジャイアンツが「お前らここの使用禁止な!」と通告。ヤンキースは動員でお金はあったものの、さすがにマンハッタンで野球場を建設するほどの財力はなく、ブロンクスの川を挟んですぐの場所にヤンキースタジアムを建設する。現在の新しいスタジアムよりさらに近い位置、上の地図で言うと「D列車の155丁目駅」の「丁」の字の上あたりにあったので、ポログラウンズからわずか1.5キロしか離れてなかった。ここもライトが90mとレフトより狭かったので、(たぶんわざとだな)ベーブ・ルースは1923年以降もホームランを量産する。


その後ヤンキースが40年ほど続く黄金時代を迎えるんだけど、ジャイアンツはイマイチな状態のままで、動員数も減って来たところに、球団の少なかった西海岸への移転話が出て、1958年にドジャースとともにサンフランシスコに移転する。


その後は1962年に誕生したメッツの本拠地として再び多くの人々を動員するんだけど、すでにニューヨーク市がこの場所を公共団地にすることを決めていたので、1964年からはシアスタジアムにメッツは移動、その後解体され団地が建設され現在にいたる。








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